コンビニ人間読んだ/受容される「普通」と排除される「異物」

久しぶりに小説読んだ。数年前からだんだん小説を読んでも、集中できずに違うこと考えたりして、読み終わらないということがあった。それで、小説の類は敬遠していて、ビジネス書系の本を読んできた。 そのビジネス系の本も最近は買っておいて全然読み進めてないということがあり、今回は書店で手にとって面白そうかつすぐに読み進められそうな本を買ってみた。

それが「コンビニ人間」村田沙耶香著。

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

内容は、簡単にいうと、「普通」ではない感覚や価値観を持っている主人公・古倉がコンビニ/コンビニ店員にフィットして生きている様子、普通とは何かを描いた小説。 主人公はおそらく、発達障害のようなものを抱えているので、子供の頃から他人とは異なった価値観・行動・考えを持っており、他の人から見ればそれが可笑しい・普通ではない物として捉えられてしまう。 この主人公の日々の生活も、コンビニ店員が軸になって生活がカスタマイズされている。店員は清潔でなくていけないから、爪も切りそろえるし、風呂もちゃんと入るし、仕事のために健康な体の状態で出社する。コンビニ店員を辞めて、生活の軸がなくなると、主人公は清潔や暮らしに頓着しなくなる。

読んでて分かるな〜と思ったのは、人の喋り方や服装などは他者および周りの環境から少なからず影響を受けて変化していること。 バイト先の菅原さんが泉さんの言葉遣いに似てきたり、古倉自身が泉さんの服装・持ち物を普通に近づけるために真似するというのはそういうこと。 つまり自分を変えたければ、こう変化したいという環境に身を置いて、その環境に居る人の言葉・考え・行動を真似して吸収することが手っ取り早いのでは?とか思ったりした。

もう一つ、考えさせられたのは、結婚する・就職する・子供を育てるなど役割を持っていないと社会と接続出来ていないということ。 いい年してバイトで生活している人とか、ちゃんと働いているだけ偉いじゃんと思うけど、「普通に」就職して働いている人、「普通に」結婚して子供を育てている人、社会の多数の人々が実践できている普通の人から見れば、ちゃんと社会に生きていない人に見えるんだろうな。

きちんと社会に接続される人間になるには、フリーターはこれに当てはまらない。生き方は自由でも自分で自分になにか肩書きや役割をつけないといけない。 生きづらい社会でも、世界に真っ向から向かっていかないと、白羽みたいに自分の価値観で自分の首を絞めてさらに生きづらい狭い世界を作ってしまうことになる。